社員インタビュー No,2 アートディレクターが考える、個人と組織の成長戦略
デザイン系の専門学校を卒業。美容室をトータルにプロデュースする会社で6年間働いた後アコーダーに入社。
グラフィックデザインや映像制作を経て、現在はWebチームのアートディレクター・主任を務める有坂さん。
どんな業種の案件でも、高いクオリティの提案ができ、Webからグラフィックまでトータルにディレクションできる人材として、アコーダーのクリエイティブの要となっています。
若くしてADのポジションを掴んだ彼の道のりと、デザインや会社に対する考え方を、普段は同僚のライターが掘り下げてみました。
「かっこよさそう」だけで決めたデザイナーの仕事
— 前職について教えてください。
デザイン系の専⾨学校を卒業後、美容室をトータルプロデュースする会社で約6年間勤務しました。
そこは美容室で使⽤する椅⼦・ドレッサーなどの美容器具の開発・販売から、シザー開発、店舗設計、ロゴ・チラシなどのグラフィックデザイン、Web制作まで行っているクリエイティブ会社でした。
その会社は創業時、これまでの美容室にはない⾰新的なデザインの椅⼦が話題となり、そのテイストにマッチした店舗デザインやロゴ作成の依頼の増加によって事業を拡⼤していました。
当時、美容業界はいわゆるカリスマ美容師の時代が終わり、新たな変⾰期を迎えていた頃。それまではモードな内装のお店が多かったのですが、エンドユーザーの求めるものが変わり始め、よりナチュラルでカジュアルな空間が求められるようになっていました。
このトレンドに対応し、その会社は製品、店舗デザイン、グラフィックデザインをアンティークテイストで統一することで、集客⼒のある店舗作りを行っていました。こういったブランディング戦略で、私が退職するまでの間、会社は順調に成⻑し続けていました。
ー 入社した時、その会社はどんな状態だった?
ちょうど表参道の有名な美容室のプロデュースをした直後で、すごく注⽬を浴びていて、全ての部署の仕事量が爆発的に増えていました。
なので⼊社2⽇⽬から、日付が変わるまで働いてました。休⽇出勤は当たり前。朝9時に仕事が始まって、帰るのは早くても22時。かなり厳しい環境でした(笑)。社⻑がだいたい22時〜23時に帰宅されるので、それまでは帰ってはいけないという暗黙の了解があって…正直キツかったです。
ちょうど働き⽅改⾰が始まる直前で、まだまだ色々なことが整備されておらず…今でこそ笑って話せますが、不条理なこともあった気がします。当時はなかなか厳しかったです(笑)。
販売業務から、ビジネスを学ぶ
ー 前職はどんな仕事をしていましたか?
当時の社⻑の考えとして、売上の多くを占めていた創業のきっかけでもある美容器具の開発販売はとても重要な業務でした。社内のどんな職種や⽴場の⼈でも販売対応ができるようになることが絶対条件。
そのため、⼊社後は電話での問い合わせ対応や器具の発注、出荷管理、メンテナンスを徹底的にやりました。
それが結構難しくて、原価を抑えるために細かいパーツまで発注先を分けていたため「注⽂が⼊って発注が終わる」というわけではなくて、注⽂が⼊ると多いときで5つくらいの会社や⼯場に随時連絡を取りながら出荷時期を調整する必要がありました。
だいたい電話が鳴り止むのが18時。もちろん、その仕事が終わるとデザイナーとしての仕事が待っているわけで…⽇々のルーチンは9時から18時まで販売対応をして、そこから深夜までデザインの作業をしていました。
当時は本当に⼤変でしたが、今思えばビジネスの一部が学べた時期だったと感じています。ものづくりの哲学や、コストバランスの考え⽅、どうすれば利益を出せるかとか、そういうデザイン以外の知識を学ぶことができ、今まさに役立っているかなと思います。
ー 当時のデザインチームはどんなメンバー構成でしたか?
当時のグラフィック・Webチームは、30代前半の上司が⼀⼈、私より7歳上で同じタイミングで⼊社した第⼆新卒の⼈が⼀⼈、という⼩規模な3⼈のチームでした。
ただ、私のデザイン力が足らなすぎて…デザイナーとしての職務を全くこなせなかったため 、入社してすぐにデザインの仕事から外されました。その代わり、当時誰もやっていなかったコーディングを勉強して担当するようになりました。
結構つらい時期ではありましたけど、一方で販売業務の方はそれなりに評価されていました。元々居酒屋でずっとバイトをしていたので、接客対応や電話対応は得意で、お客さまからも指名をいただくほどでした。その点は会社も認めてくれていましたね。
たった一人のデザインチーム
ー そこからデザイナーにどうやって戻ったの?
その後、当時の30代の上司が半年で辞めちゃったんです。そこでグラフィック・Webチームを新卒⼆⼈で何とかしなきゃっていう状況になったので、一度は外されたデザイン業務も徐々にこなしていくようになります。
そのあと立て続けに退職者が出て…3年⽬には設計部のスタッフが一気に辞めることになって、もう⼀⼈の同僚もその穴を埋めるため設計部に移ることになりました。ということで、グラフィック・Webデザイン部門は私一人のチームになりました。
それからは、がむしゃらにロゴデザインから店の販促ツールの制作まであらゆることをやりました。腹を括ってプライベートもかなり削って仕事ばかりしていました。おかげさまで当時の彼⼥には振られました(笑)。
ー その状況で転職は考えなかった?
あまりにも忙しすぎて辞めるか辞めないかなんて考える余裕もなく、ただひたすらやるしかない、って感じでしたね。
依頼があった美容室の販促全般のデザインというクライアントワークと並行して、自社プロモーションというインハウス的なデザイン業務もありました。⾃社製品のカタログ、雑誌広告、Webサイト、事業として展開していた飲⾷事業の販促など。本当に⽇々忙しくて、正直⽬の前の仕事のことしか考えられなかったです。
ー 当時のいいデザインの基準って何ですか?
⾃社製品のプロモーションに関しては、代表が緻密に計算して販売戦略やビジュアル戦略を⽴てていたので、「代表 = 売れるデザイン」というイメージでした。なので、代表の思いを形にするという意識で、それが基準でした。
代表からのフィードバックは、デザインの細部についてというよりは、ビジネスの視点からの指摘が基本。ディテールについては、⾃分なりに外部の講義や研修で知識を取り⼊れて、日々アップデートしていました。
クライアントワークに関しては、代表もあまり関与しなかったので⾃分なりに、エンドユーザーを最優先に考えて、エンドユーザーが可愛い、美しいと感じるデザインを追求していました。
だから当時は、休みの日になると必ず街へ出て美容室を巡り、写真を撮ることがライフワークになっていましたね。
また、毎⽉違う美容室に、実際のサービスを受けに⾏って、具体的なイメージを持つことができるよう努めていました。結構⼿探りでやっていたのですが、⾃⾛する⼒みたいなものは鍛えられたかなと思います。
一般的なデザイン会社で通用するのか
ー その状態から転職に至った理由は?
6年間働いてきて、やり切ったなというところが⼀番ですね。アコーダーでは、チームごとに役割がしっかりと分けられていますが、その会社では全てが⾃分の仕事という感じでした。営業活動、⾒積り作成、デザイン制作、納品まで、⼀通りの業務を全て⾃分一人で担当していました。
そのほかにも年間の⽅針書の作成やチームの売上⽬標設定なども各チームのリーダーがやらないといけないので、経営の⾯でも多くを学びました。
マネジメントにしても、最終的には6⼈のグラフィック・Webチームを管理するという、当時25,26歳の年齢ではなかなか得られない経験ができました。この経験を通じて「⾃分も覚悟を決めればそれなりにできる」という⾃信がつきました。
しかし、それは美容業界という限られた世界での経験であり、このスキルが⼀般的なデザイン会社でも通⽤するんだろうか?という疑問や好奇⼼が湧いてきて、それが転職を考えるきっかけとなりました。
(ちなみに退職する最後のタイミングで、チームで過去最⾼売上を達成!)
ー どのような転職活動をしましたか?
転職サイトやエージェントを利⽤したり、直接企業に応募するなどして、合計で10社ほどに応募しました。
当初は、自社商品の販促を担当するインハウスの会社に⾏くべきか、クライアントから仕事を請け負う受託系の制作会社に⾏くべきかで迷っていました。そのため、インハウス系の求⼈が多いサイトと、受託系の求⼈が多いサイトを使い分けていました。
それまでのキャリアでは、自力で学んできた部分が多く、指導していただく先輩という存在もいなかったため、師匠的な上司の下で⼀度仕事をしてみたいという気持ちもあり、最終的には受託系の制作会社で、⽐較的⼩規模なデザイン事務所を中⼼に転職活動をしました。
ー 転職活動期間はどのくらいでしたか?
前職を辞めるまでに、実はかなり時間がかかって、辞めることを伝えてから実際に辞めるまでには1年半の期間を要しました。
前職を退職してから2ヶ月間の有給休暇を利用して転職活動を行いました。退職するまでは、本当に辞められるんだろうか(笑)みたいな状況だったので。最終的には、アコーダーともう1つの会社から内定を得ることができ、アコーダーを選びました。
社員を大切にする理念に惹かれて
ー アコーダーに決めた理由は?
最終⾯接で⼭本社⻑(アコーダー株式会社 代表取締役)から会社のビジョンを聞き、「クリエイターが新卒で⼊社して定年まで働ける会社を作りたい」という理念に強く共感しました。
この業界の中には従業員を⼤切にしない会社も多く、前職も厳しい労働環境の中で、誰かが辞めたらすぐに次の⼈を受け入れるという繰り返しの状態でした。
⾯接を受けている中でも、例えば、これまでに担当していたクライアントを持ってきてほしいとか、道徳に反すると思われることをおっしゃる会社もありました。そんな中でアコーダーは、クリエイターを大切にするという考えを持っていますし、それに基づいたビジョンや考えを明確に掲げられていたので、その想いに共感して、この会社で働いてみたいと思いました。
ー はじめはグラフィック制作課でしたよね。
そうですね。当初はグラフィックデザインとWebデザインの両⽅を⼿掛けるという形でアコーダーに⼊りました。しかし、当時のアコーダーでは、グラフィックデザインのスタッフが不⾜していたため、主にその分野に携わることとなり、仕事の割合としてはグラフィックが8割、Webが2割ほどでした。
アコーダーで働き始めてからは、前職とは異なり、多様な業種のクライアントのデザインに関わる機会が増え、とても新鮮な体験でした。
例えば、断熱材の加⼯会社のパンフレットや、特殊鋼を扱う企業の会社案内など、BtoBのグラフィックデザインを数多く⼿掛けました。また、前職ではFlashなども使⽤していたので、その経験を活かして映像関連の仕事も担当していました。
当時は、何か特定の分野に特化するよりも、幅広いスキルを⾝につけるゼネラリストを⽬指し、グラフィック・Web問わずさまざまな仕事の依頼に対して、率先して⼿をあげていました。
ー 前職で独学でやっていたときと違いはありましたか?
そうですね、そもそも上司からデザインチェックを受けるということがなかったので、新たな環境に触れたことで⾮常に勉強になりました。
そして何より、周囲のデザイナー達のレベルの⾼さに驚きました。特に当時新卒⼊社1年⽬のY君の実⼒に圧倒されました。Y君のデザインスキルは⾮常に⾼く、これは完全に負けてるなって(笑)。
しかし、そういったアコーダーでの新しい経験が、自分自身の現状を客観的に理解するきっかけとなり、周囲に追いつこうと⼀⽣懸命努⼒することができました。
また、⾃分の強みを活かしていく⽅法を探すようにもなり、その結果として成⻑することができたと思います。
トップを知らないと、現状維持のまま
ー そこからWebチームに異動した理由は?
アコーダーに⼊社して約2年間は主にグラフィックデザインを担当していました。その間、動画編集のスキルも⾝につけて、After EffectsやPremiereを使った作業も⼿がけていました。
しかし、3年⽬の途中で会社の状況が変化。今度はWebチームで⼈⼿が⾜りない状況になり、新たにWeb担当のアートディレクターが⼊社したタイミングで、Webチームへの異動の話が出ました。
当時入社したばかりのWebチームのアートディレクターから⾔われた⾔葉に⼤きな刺激を受け、異動を決意。
「今のままでは、全てが中途半端になるよ。」この⾔葉は、このままでいいのだろうか?とぼんやり考えていた私の⼼に深く響きました。
また、グラフィックチームの永井さんをはじめ(https://note.com/accorder_inc/n/n8dfeb8c8599a )、若いデザイナーの成長もひしひしと感じて…周りと⽐べて⾃分の成長を感じられなくてつらい時期でもありました。
映像制作などを通じて、⾃分のスキルを幅広く磨こうと努⼒していましたが、それでもやはりこれだという方向性は見い出せてはいなかったんです。
実はその当時、⼀度は退職を考えたこともありました。そんなときだったので、せっかく声をかけていただいたし、環境を少し変えて頑張ってみようと前向きに受け入れることができました。
ー どのようにしてWebの技術を⾝につけていきましたか?
そのときのアートディレクターからまず言われたのは「トップを知れ」ということでした。その言葉通り、その方は毎⽇、世界のトップクラスのデザイン、技術、会社など、大量の情報をチームメンバーに紹介してくれました。
これは⾮常に重要なことで、業界のトップを知らないと、客観的に自分たちのレベルを見ることはできません。今に至るまで自分の中で大切にしている言葉で、キャリアの中で最も成長に役立っている言葉でもあります。
そのアートディレクターは半年で退職してしまいましたが、そのたった半年の期間が私のキャリアの中で最も成⻑できた時期だと感じています。
現在、私⾃⾝7⼈のデザインチームをマネジメントしていますが、私も彼らに「どこどこの会社が作ったあのサイト、みんな知ってるよね?」という感じで、知らないことが許されない状況を⾃然に作り出すことを意識しています。
⾃分⾃⾝が何を知っていて、何を知らないのかを客観的に⾒ることができ、いいものを見抜ける目がなければ、成⻑はあり得ないと思っています。
自分しか作れないデザインや価値
ー これまで印象に残っている仕事はありますか?
どんな仕事でも何かしらの成⻑のきっかけがあり、次に繋がると思っているので、それぞれ印象深いポイントはあります。
あえてあげるなら、⼤阪のゼネコン会社のコーポレートサイト・採⽤サイトの仕事は、私の仕事の価値観を大きく変える仕事となりました。
それまでも多くの会社の仕事をこなしてきて、⾃分なりにクライアントのことを考えて仕事をしてきたつもりでした。しかし、そのゼネコン会社の仕事はそれまでに経験したことのない規模でした。
社員数が700名ほどということを考えると家族の方も含めると少なくとも1,000名以上の⼈々が関わるプロジェクトになります。
身の引き締まる思いがしました。もしプロジェクトに問題があったら1,000名以上の方々の人⽣に影響を与える可能性があるという怖さを感じました。
それまでもクライアントのためにと思って仕事をしてきましたが、より強い責任感を持つきっかけとなりました。
また、Wellz Unitedという福知⼭の会社で、電設関連や廃校利⽤事業など多⾓的な事業を⾏っている企業のWeb・グラフィックのアートディレクション・デザインの仕事も印象深いです。
とてもクリエイティブを尊重してくれる会社で、「あなたの個性を爆発させたデザインを」という注⽂を受けました。
私にとってデザインの本質について再考する機会となり、今の仕事の考え方に大きな影響を及ぼしました。
一般的によく誰が制作したかわかってしまうデザインは良くない、と⾔われますが、逆に私とクライアントが⼀緒に仕事をしたからこそ⽣まれる価値、私しかつくれないデザインというのもあるなとこの仕事を通じて感じ、今はそれを一番に意識しています。
⾃分が日頃社会に発信したいと思っている価値観やメッセージ、また、自分らしいデザインテイストなどを、どのようにクライアントの特性や強みに重ねることができるか、それを突き詰めて唯⼀無⼆のクリエイティブを目指したいと考えています。
ー 良いコーポレートサイトの条件って何ですか?
それは難しい質問で、正直に⾔うと、まだ答えを探している段階です。しかし、⼀つ常に⼼に留めていることは「らしさを感じるサイト」を作ることです。
Webサイトにおいて、⾒やすさやわかりやすさが重要な要素であることはもちろんです。しかし、ただ綺麗なだけのサイトでは、インパクトが弱く、見る人の記憶に残らないと思います。
なので、使いやすさを備えつつも、その企業やブランド の「らしさ」を感じさせるサイトでなければ意味がないと考えています。
インパクトの強さと使いやすさのバランスを上手く取りながら、そのブランドや企業の「らしさ」を表現するポイント(引っかかりや違和感)を必ず盛り込むように⼼掛けています。
その「らしさ」に自分(=私)らしさも重ねてデザインすることで、クライアント様とアコーダーだからこそ実現できるクリエイティブに繋がるのかなと思います。
個人も組織も成長するには
ー リーダーになる上での覚悟はありましたか?
今から3年前、Webチームのアートディレクターが辞めて、自分がWebチームのリーダーになると決まったとき、特に不安はありませんでした。それまでの半年間でしっかりと成⻑する時間があったし、前職での経験もあったので。
それに、Web・グラフィック問わず多くのデザイナーがいて、営業や制作進行を担当するクライアントリレーション部のメンバーもいて、それだけ恵まれた環境だったので、良い方向に持っていけるイメージしかなかったです。
ー 組織としての成長をどう考えていますか?
アコーダーは、4年前から組織の再構築やミッション・ビジョン・バリュー (MVV)の整備に注⼒しています。その中心になる考え方として、「⻑期的なクリエイティブパートナー」というコンセプトを掲げていて、私⾃⾝もそのコンセプトを現場レベルで実現できるように取り組んでいます。
具体的な目標の一つは、メンバーのみんなにクリエイターとして「⼀⽣この仕事でやっていける技術と知識を⾝につけてもらう」ということです。
クライアントに⻑期的に寄り添っていくためには、社員が⻑く働ける環境を整えることが必要だと思います。
その中で、年間休日が多い、残業が少ないといった環境⾯はもちろん⼤切ですが、それ以上に重要なのが、チームのメンバー全員が「⼀⽣やっていける技術」を⾝につけることです。
デザイン会社としてプロフェッショナルなスタッフが揃っているからこそ、⻑期的なクリエイティブパートナーとして、クライアント様と共に成⻑し続けることができると考えています。
ー 個人と組織が共に成長するためには、どうあるべきだと考えますか?
いかに個人と組織の目標を繋げられるか、だと思っています。フリーランスではなく、会社に所属しているので、どんなにスキルが優秀でも、自分の成長目標やメリットだけを追い求める方は評価するのが難しい。
なので月並みかもしれませんが、個人と組織が求めるものの重なりを探して、個人としても組織としても成長できる接点を見つけることが重要かなと思います。
幸いにもアコーダーでは、ミッション・ビジョン・バリューをはじめ会社の理念となる大切な考え方が経営方針書として各社員に配布されています。
私の役割は、Webチームのメンバーとよく話し、接点を探してアドバイスし、繋げてあげることです。それがこれからの自分の仕事として重要な部分だと思います。
ー アートディレクターの立場から会社をどうしていきたいですか?
理想としているのは、アートディレクターやデザイナーなどのクリエイターが、自分の成長過程で所属する会社ではなく、目標とする会社にしたい、ということです。
広告・販促・Webの業界として見ても、また世の中の風潮としても、転職を完全に避けるのは困難です。
それでも、辞めにくい組織にするためにはどうあるべきか。色々な要因があると思いますが、その一つがデザイン業界の中で目標とされる会社になることです。
例えば、新人のクリエイターがアコーダーに入社して数年が経ち、ある程度成長したとき、いかに次のフィールドを用意し、個人としての課題をアップデートできる環境か。それが長期的に働いてもらうための大きなポイントになると思います。
この問題を解決するためには、組織としての成長が必要ですし、ブランディンをはじめ、まだまだ十分ではない領域の提案力を高め、組織としてクリエイティブの質を向上させることも必要になります。
そうすることにより、クリエイターが成長していく段階ごとに、キャリアフィールドを準備できる企業風土を作ることができるのではないかと思っています。
ー クリエイター個人としての今後の⽬標は?
Webチームのメンバーたちのモデルとなるキャリアを形成することが第一目標です。具体的に言うと、いつも一緒に働いてくれている部下たちに、あんな風になりたいと思ってもらうことです。
どのデザイン会社も比較的若い方が多く、年齢を重ねるごとに独立や別業界への転職をしてしまい、歳を重ねた時にどういうキャリアプランを描けるか、会社の中で具体的にイメージをすることは困難だと思ってます。自分もまさにそうでした。
自分がどんなキャリアを形成するかは、自分だけの問題ではない。自分が今歩んでるキャリアが、次の人の目標になることや、イメージできるものになればと考えてます。
そのために、自分自身のスキルや知識をもっと向上させたいと思っていますし、Webデザインを本格的に担当してからまだ3,4年足らず。変化の激しいこの分野で、まだまだ伸び代があると信じ、日々努力しています。
考えてみると、自分のこれまでのキャリアの中で、無駄なものは何一つなかったように思います。
例えば、デザインの仕事をするのに、販売業務が何の役に立つのか、思う方もいると思います。でも、私にとっては、クライアントのニーズを直接聞く機会であり、ビジネス的な考え方を学ぶ貴重な体験の場でした。そしてそれは、今の自分に確実につながっています。
組織の中で自分に与えられた仕事や役割を、自分自身の成長にどのように繋げていくのか。それは全て自分次第です。
私はこれまで培ってきた経験を活かして、何事にも挑戦し続ける人間でいたいし、またアコーダーも会社として、そうでなければならないと思っています。
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